韓国併合

odk2004-08-28

 つぎに、日本が朝鮮半島を植民地にした時代です。日本が開国をした19世紀の終わりごろになると欧米列国では王・領主が土地と国民を直接支配する封建時代から資本家とよばれる企業や銀行が国を動かす時代に変わります。製鉄業や電気、機械、石油、鉄道などの産業革命と呼ばれる商品の大量生産・流通が急速に成長します。これらの商品をつくり運ぶ大企業は大きな銀行と結びつき海外の地域に資本をつぎ込んで、現地の人びとを安い賃金でやとい、原料を安く買って、工場や鉱山、鉄道などの事業をはじめます。そして、軍事力を動かして、現地の人びとの抵抗をおさえて、これらの地域を植民地や勢力範囲として支配するようになります。

1873征韓論高まり、西郷隆盛ら征韓派敗北
1875江華島事件:日本の軍艦が朝鮮に圧力をくわえるために朝鮮沿岸で演習や測量を行い、    朝鮮軍江華島砲台から砲撃されると反撃して、砲台を破壊した。
1876日朝修好条規(江華条約):江華島事件をきっかけに日本は朝鮮を開国させ、日米修好    通商条約と同じような不平等条約を認めさせた。
1882壬午軍乱(壬午事変):朝鮮開国後、朝鮮のなかで親日派勢力が台頭してきたが、日本への接近を進める閔氏一族に反対する大院君が軍隊の支持をえて反乱を起こし、これに呼応して民衆が日本公使館を包囲する事件がおこった。
1884甲申事変。この年、フランスは清国と戦い、これを破ってベトナムをはじめインドシナ全体を植民地として支配します。この動きをみた日本政府や知識人などは、欧米列国がいよいよ東アジアへ侵攻してきたものとみて衝撃をうけます。そして、列国とともに中国・朝鮮へ進出をしなければ日本の前途も危ないという人々がでてきた。日本政府は、この機会をとらえて、議会での「まず国民の租税負担を軽くすべきだ。」という主張をおさえて軍備の拡張予算をおしきった。
1885天心条約
1889防穀令(米穀・大豆などの輸出禁止)
1894甲午農民戦争東学党の乱)。清国・日本、出兵。日清戦争始まる。
1895下関条約。日本守備隊、閔妃殺害
1897年朝鮮王朝は国名を大韓帝国と改めた。だから植民地にしたことを「韓国併合」と呼ぶ
1904日韓議定書。第一次日韓協約
1905桂・タフト協定。第二次日韓協約(韓国保護条約)。日本はアメリカとイギリスに韓国の保護国化を承認させた。第2次日韓条約で韓国の外交権をうばい、漢城(現ソウル)統監府をおいて伊藤博文が初代統監となる。
1907ハーグ密使事件。韓国皇帝の譲位。第3次日韓協約。第2回万国平和会議に韓国皇帝密使をおくって日本の行動を抗議したがいれらなかった。逆にこの事件により日本は第3次日韓協約を結び、韓国の内政権を手に入れ、韓国軍を解散させた。義兵運動が高揚。
1909(明治42)年に伊藤博文ハルビン駅で安重根(あんちゅんぐん)により暗殺、憲兵隊を常駐させ、韓国の警察権もうばう。
1910韓国併合条約(韓国併合)。韓国を朝鮮に改める。日本の植民地として韓国統監府を改め朝鮮総督府とする。この年から日本の敗戦までを日帝時代と呼ぶ。
 日本からの独立運動とそれを押さえ込もうとする日本憲兵、警察の支配がつづきます。
(写真は朝鮮総督府がおかれた朝鮮王朝景福宮の一部。総督府は韓国政府により1990年代取り除かれ今はない。)

(参考とした教科書:中学 東京書籍「新しい社会歴史」、高校 山川出版「詳説日本史」)