タプコル公園のユー・ジャイ・ウォングさん

タプゴル公園レリーフ

2004年9月7日(火)
 名古屋空港は台風接近でソウル行きの飛行機が飛べるかどうかがわからない。行く先を韓国に決めたのも三転していたが、それも天災で中止か。すでに、従軍慰安婦と通称される日本軍の旧慰安婦の住んで見える「ナヌムの家」に日本人のスタッフがみえるということで、インターネットでアドレスを調べて、訪問をお願いしていた。前日の夜中から交通情報をずっと聞いていたが大阪空港のソウル行きは欠航。これから東海地方に進む台風と飛行機の出発時間が重なってきた。かっちゃんと矢嶋さんには「名古屋空港には予定通り行くが、飛ぶかどうかはわからない。」とメールした。降ったり晴れたり不安定で強風のなか名古屋空港に早めにはいる。かっちゃんも「飛ぶんですかねえ。だめだとおもってましたが。」と現れる。旅行社も予定通りチケットを渡す。航空会社のカウンターで「飛ぶんですか?」ときく。「はい、時間が少し遅れるかもしれませんが。」
 時間通り、午後4時40分予定通り名古屋発。飛行中、雲の渦に井戸のような穴をみる。台風の目にみえた。ソウルにつくと意外なほどしずかだった。インチョン空港で一人1万円両替をして101500ウォン。10名ほどのパックツアーの客を積んでバスはソウルの南部をホテルからホテルとまわる。最後のはずれの一番小さなホテルについたときには午後10時だった。フロントと添乗員が何かもめている。「お客さん、ホテルの都合でダブルベッドなんだけれども。だめだよね。韓国では、そういう習慣でかまわないんだけれどね。」「まだ、二人は愛し合ってはいないし、日本では、そういう習慣はではありません。」「じゃ、ベッドひとつ入れるから待っててね。」「これから街に出かけるので、早くしてください。「えっ!今から出かけるの。火曜日は休みの店が多いよ。」
 不思議な部屋だった。ダブルベッドに、大きなテレビと大きなバスルーム。横が駐車場で通りから見られずにホテルに入れる。地下鉄の終電までに南大門市場まで出る。ミリオレのフードコートまで昇って時間切れ。「帰ろう。今、道に迷うとホテルに地下鉄で帰れない。近くのコンビにでおにぎりかパンでも買いましょう。」
 
 

2004年9月8日(水)
 朝、コンビニで700ウォンのおにぎりで朝食。ソウル中心から離れた安いホテルなので地下鉄に30分ほどのり、鐘路3街駅で降りる。韓国の独立運動のタプゴル公園にゆく。周囲はビルに囲まれて瓦屋根の門をくぐる。公園に入ると日本人のためにボランティアでガイドをしているというユー・ジャイ・ウウォングさんに声をかけられ「タプゴル・コンウォンの略史」というB5のちらしをいただいた。(以下、ちらしの写し)

「タプゴル・コンウォンの略史」韓国最初の3.1独立運動が開かれたタプゴル公園です。
 日本のみなさん、ようこそタプゴル公園へおいでいただきました。この公園はソウルの中心部にある、ほんの1万米にみたない小さな公園にすぎません。しかしこの小さな公園は、いろいろな意味においてソウルばかりか、韓国を代表する公園であるともいえます。
 この地は、1467年(第七代、世祖13年)に建てられ1504年に廃寺になった、円寺の境内であり、大韓光武元年(1897年)、度支部(現在の財務部)顧問の英国人ブラウン(Brown)がわが国最初の都市公園として設計し、1919年年には日本の植民地支配からの独立を宣言する集会が開かれた、由緒ある公園であります。
 1919年3月1日、孫乗熙(ソン・ビョンヒ)先生ら33人の韓国人指導者が独立宣言文に署名、主権回復運動の口火を切ったところです。この独立運動は全国に広がり、このため日本官憲は軍隊を出動させ、力による弾圧をおこないました。塔(パゴタ=国宝第2号)の東側にはその記念碑があり、その後ろには小道に沿って3.1独立運動で、各地で日本の官憲に抵抗する勧告民衆の姿を描いた銅版のレリーフが並んでいます。この事件は「万歳事件」として韓国民衆の心に深く刻まれています。
 1982年、日本の教科書問題が中国や韓国で大きな反響を呼んだ時、糾弾の集会が開かれたのも、この公園です。ちなみに、この円覚寺の碑文に書かれた亀碑石は宝物第3号であります。
 タプゴル・コンウォン(塔洞公園)という名前の響きは、ソウルの人々にとっては一種独特な感情を喚起させます。日本と韓国の真実を知ることによって、この響きをお互いに理解しあえる日こそ、日本と韓国は本当の友人となれるのはないでしょうか。平和のために、歴史を正しく理解しあいましょう。ありがとうございました。
2004年(檀紀4337年)9月7日 光復59周年
大韓民国 日本語ガイド(ボランティア) 劉載晃YooJaiHwang

 案内をしてくださるそうだが、このあと午前中に李舜臣像、景福宮、をまわって日本大使館に行かなければならないので公園内を一巡して出る。写真は公園内の記念レリーフ