日本大使館前の抗議集会

odk2004-09-22

2004年9月8日(水)午前11時30分ごろ
 ここまで書いて、いかにも歴史に詳しい二人のようにみえるが、同行のかっちゃんのためにいっておくと、現地では地図をみながら行く場所を探して写真をとるので精一杯です。「ここで人が殺されてね。」「へー。」「ここも大変だったから。」「ほー。」行き先のことはインターネットや図書館で調べておくようにいっただけで、現場では、私の記憶が曖昧なので、解説はぬきでどんどん歩いています。景福宮から南東へ15分ほどの近いところに日本大使館があります。元「従軍慰安婦」の日本大使館への抗議集会が毎週水曜の正午から13年間続いています。そちらに参加するのが、今日の主行事です。
 大使館前で高齢の男性に、また、「ちらし」をいただきました。
「訴え 皆様に訴えます。人間は誰でも幸福に暮らす事を望んでいます。また政府は国民一人一人が幸福に暮らす事ができるように努力しなければなりません。それなのに、本日、原告の元「従軍慰安婦」のお婆さん達はどうしてこんなに惨めに、不幸になったのでしょうか。誰のために不幸になったのでしょうか、この答えは皆さんも承知の事と思います。胸に手を当意てて皆様の良心に訴えます。

太平洋戦争中アメリカに住んでいた日本人移民をアメリカ政府が収容所に収容しました。終戦後、収容された日本人がアメリカ政府を相手に裁判を起こしました。その理由はドイツとイタリア人は収容されなかったので「差別した」という理由でした。裁判の結果、日本人は謝罪と賠償を受けました。また最近収容されたことを記念するための公園と記念碑建立のこともアメリカ政府と合意し公園と記念碑が出来ました。
日本政府はアメリカより謝罪を受け賠償金を貰い記念碑も建つようになりました。反面、日本政府は韓国の元「従軍慰安婦」のお婆さん達には何一つしていません。
UN国際連合人権委員会では調査の結果、日本の行為、日本軍の行為が「非人道的」であることを認め日本政府に対して「賠償」と「謝罪」をしろと勧告しました。が、今まで一言も答えもなく無視し黙殺してきました。
 駐韓国日本大使館の前では毎週水曜日、12年間、雨が降っても雪が降っても血涙を流し絶叫しながら不自由な身体でもって6**(読み取れない)回目のデモが次の水曜日に行われます。世界的にも12年間にわたって継続して行われたデモは類をみません。
第二次世界大戦の時ドイツ軍によって多くのユダヤ人が虐殺されましたが、終戦後、徹頭徹尾一人残らず賠償し謝罪したので今日では過去の一つの出来事として忘れられようとしています。
なぜ日本政府はこの事ができないのでしょうか。
私たちは朝鮮民族が受けた被害を精算する事を訴えます。
真の隣国として神と人道の名において・・・・・。
1999年8月24日 経済正義実践市民連合 朴世榮」(なるべく原文に忠実に写しましたが年月日や数字が合いません。)