西大門独立記念公園の独立館

odk2004-10-03

 2004年9月8日(水)午後4時
 西大門刑務所歴史館では、展示内容が重く、朝からの歩き通しにくわえて、水曜集会が立ちづくめで、その疲れが出てきた。歴史館を出た売店で千ウォンのアイスクリームを買って休んだ。まだ、時間はある。近くに、フランスの凱旋門を模した独立門があるはずだと探しに立った。歩いていると韓国の木造建築で何かのパンフレットに載っていた建物があった。地下に降りる階段がある。階段の途中に若い女性がいた。何か展示しているのか。その女性がハングルでこちらに話しかけてきた。建物の関係者のようだった。入り口のガラス戸に催し物のポスターが張ってあったので、それと建物の内部を指差した。ハングルはわからない。自分を指差して「イルボン(日本人)」といった。中から30代ぐらいの男性職員を連れてきた。刑務所歴史館のパンフレットと出して指で見てきたことを伝えた。かっチャンが英語で話した。「中が見たいのか?」ときかれたようにおもう。「OK」その職員が、かぎ束をもって外にでてきた。えっ、何。事務所の中を見せてくれるのではないのか。階段を上がって木造建築の正面に建った。開き戸のかぎを開けて中に入った。「コリアン、ヤスクニ。」と彼はいった。後からパンフレットを調べると、この建物は、古くは朝鮮時代に中国からの使臣に歓送の儀式を行ったもので、1897年に韓国の民族独立運動を行った独立協会が建物を改築し、そのときの皇太子(純宗)から「独立館」という掛板を下賜されたものだった。そして、1898年末まで、民族の自主独立と民族文化について自由に言論を話し、教育をどう伸ばすのか、産業をどう起こすのか、毎週討論会を開いていた。しかし、日本支配の命令により強制撤去された建物の復元建築だった。中には、びっしり人の名前の刻まれた板が立っている。日本の支配者により亡くなった殉国烈士の位牌だった。
「ハウ・メニー?」「2372。」「オールウェイ・アーミーズ・キル?」「イエス。」
 突然に、意外なもの。韓国の靖国に対面をした。そして突然の訪問にこころよく中を見せていただいたことに感謝の気持ちがいっぱいになった。「サンキュー。」来てよかった。
 長い一日に、疲れと満足感があった。