朝鮮皇后(閔妃)暗殺

odk2004-09-21

2004年9月8日(水)午前10時
 イスンシン将軍像から北に上ると光化門、景福宮に出る。入場料1000ウォン。午前10時からは日本語によるガイドがある。景福宮は、1395年朝鮮王朝によって建てられた最初の王宮で1592年秀吉の倭軍により焼失、大院君が朝鮮王のときに再建した。その再建費用労働のため国民は苦しんだ。王宮正面に日本政府が朝鮮総督府を立て、威圧していたが90年代に除却された。正面の光化門も倭軍により焼かれ、朝鮮総督府建設時には危うく壊されかかり、また朝鮮ン戦争で焼失、現在の門は1968年復元のもの。日本語のガイドさんに明成皇后受難の碑はどこにあるのか尋ねたところ現在、工事中で見られないとのことだった。

 1895年(明治28年)日本人を中心とした暴徒数百人が光化門を押し破って王宮(景福宮)に乱入した。ねらいは、明星皇后の暗殺である。暴徒は駐韓日本公使、三浦梧郎の指示を受けた日本の軍人、公使館員、民間人など。暴徒は後宮に討ち入るも皇后の顔がわからず、それとおもわれる女性を手当たりしだい殺し、焼いて裏山に遺棄した。駐韓外国人がその事件を公にしたことから、もみ消しに失敗、犯人の日本人は広島の地裁軍法会議により証拠不十分で全員免訴、無罪となった。代わりに同行の朝鮮人3名が犯人として処刑された。あまにりにも卑劣なテロである。
 1 なぜ、このような蛮行を日本政府がおこなったのか。
 2 なぜ、朝鮮王宮の警備は防ぎえなかったのか。
 3 なぜ、皇后暗殺の日本人無罪で朝鮮暴動が起きなかったのか。
 同じ、1895年ロシア、フランス、ドイツの日本公使は外務省を訪れ、日本の遼東半島占領に「干渉」を正式通告した。日本が遼東半島を占領すれば、朝鮮の独立は有名無実となり欧州各国の通商利益が失われ、清国の首都も危険となり東洋の平和の障害となるという申しいれだった。日本政府も欧州の公使を通じて干渉は予想していた。このまま行けば、ロシアと戦争をしなければならないが、これは避けたい。しかし、遼東半島全面放棄となれば、日清戦争はいったい何のためにやったのかということになる。列強国の間で日本は困難な状態に陥っていた。
 朝鮮皇后は、退位した実力者大院君と形だけの皇帝高宗のあいだに入り、朝廷の実権を握ってきた。その皇后は朝鮮の実権を握ろうとしていた日本を排除するためロシアを引き入れようとしていた。後宮暮らしの皇后には、外交戦術や脅しも通らない。目の上のこぶだった。朝鮮の盟主中国の清を戦争で破った日本にとって朝鮮李朝は傀儡政権としか認められない。朝鮮の民衆にとっても強引な大院君と義父にたてつく皇后も尊敬は薄かったのではないのか。

 景福宮のガイドではこの王宮を焼いたのが秀吉の日本軍であることは言わない。ましてや、皇后を日本の暴徒がテロで殺して(どうも殺したあとに、口にしにくいことも行ったようなのだが)しまったことは何も話さない。韓国の教育ではしっかり教えられているようだが。